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吉本隆明初期詩集(講談社文芸文庫、1992年)

吉本隆明の初期の詩は、かつて著作集でも読み、「全集撰」でもたどったが、最近きっかけがあってこの文庫本を手にとった。

初期詩集といっても時期によってだいぶスタイルは変わってくる。だけど一貫しているものがある。それは「夕ぐれ」だ。清らかで貧しい夕暮れ。心がつつましくなる、空腹の夕暮れ。主観的な印象だが、吉本隆明の詩は、なによりもこれだ。ほかにも空気の冷たさ、秋、舗道、風、祈り、憩い……といった慕わしいモチーフを数えることができるのだが、とりわけて。この「夕ぐれ」にはどことなくプロテスタント的な空気があるようにかつて思ったのだが、誤解かもしれない。そういうものをつきぬけた普遍的なものかもしれない。

最初の数篇を通りこすとあらわれるのが、「エリアンの手記と詩」である。詩と散文をくみあわせた一種のメルヘンで、吉本自身が「解説」で書いているように、思春期に通った深川門前仲町の私塾での黄金時代が作品の背景になっている。

登場人物の名前が――まるである種の日本アニメが架空のヨーロッパ風の街を舞台とするみたいに――<エリアン><ミリカ><イザベル・オト先生>となっている。東京の下町の現実をヨーロッパ的雰囲気の世界で仮構しようというのは、堀辰雄や立原道造でおなじみのパターンだ(それを踏まえて吉本は後年「四季派」批判をしたのかもしれないが、個人的にはよくわかる発想である)。その一方で、吉本のエッセイを読んだりこの「手記と詩」を読んだりしていると、その思春期の塾での時間が、希有でありながら誰でも覚えのあるような、ひとつの完全な思春期的世界を想像させる。そして抽象化された表現でなく、その時間と空間を具体的に再現するような長篇小説などがもし存在するならば、それを読んでみたいと思うのである。

最後尾に位置する「転位のための十篇」は、書き出しもしくは終わりにカッコいい詩句が多いと思ってきた。

  ユウジン  これはわたしの火の秋の物語である (「火の秋の物語」)


  不安な季節が秋になる(「分裂病者」)


  まるい空がきれいに澄んでゐる

  鳥が散弾のやうにぼくのはうへ落下し

  いく粒かの不安にかはる (「その秋のために」)

九月になった。せめて秋は不安な季節であれよ、と思うのだ。

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