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現代詩文庫175/征矢泰子詩集(思潮社、2003年)

1934年生まれ、仕事も家庭も持ち、40歳を過ぎてから詩集を出しはじめ、1992年に自死した詩人の選集。北川朱実『死んでなお生きる詩人』(思潮社、2001年)という本で知って、読んでみようと手にした。

激しい詩だ。言葉のほうが走る気配を見せた瞬間、すかさず内容がそれを抑えこんだのでは、と思える箇所がある。すこし走ったところの詩のほうがいいと思った。

ふいてふいてふいて風よ

てかげんもいたわりもためらいもなく

ただやくたいもなくおもうさま

ふいてふいてふいて 風よ

ふきちらして

ふきたおして

ふきちぎって  風よ

こんなにも昏さ知らず哀しさ知らず

天よりも白くあかるく咲いてしまったので

もうあすからを

いきるひつようもない

純白いろのゆめ

いやもなくおうもなくひとおもいに

今日  初夏のあおい夜明け

ゆめのまま亡骸にかえて風よ

ふいてふいてもっとふいて  風よ

                   (「マーガレットのために」同書より。*初夏…はつなつ、亡骸…むくろ)

あと「ゆれるものを」「八月の鯨」という詩が心に残った。

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こうの史代/夕凪の街 桜の国(双葉社、2004年)

今年映画化もされた評価の高いこのマンガをやっと読んだ。

短編が3つ連なったのみの薄い単行本で、読みながら人間関係をたどったりする手間が少しかかるが、それでも半日もかからずに読み終えてしまえる作品である。

いちばん感心したのは、ほかならぬその「短さ」だ。3つの短編、ぜんぶで100ページ足らずのマンガで、約60年間、家族三代分の時間を描き、まったく過不足がない。これが文章でできるか。文学とマンガを単純に比較するのは意味がないけれども、ちょっとむずかしいと思う。もちろんマンガならできるというものではなく、密度がそれを可能にしているのだろうが。

「桜の国(一)」で、主人公の少女・七波がとつぜん野球の練習をさぼって、となりの家の東子ちゃんと一緒にぜんそくで入院している弟の凪生を見舞う場面がある(ふだんはおばあちゃんから来てはいけない、といわれている)。あつめてきた桜の花びらを弟のベッドにふりまくシーンには思いがけず迫るものがあった。じつはこの山猫もちょうど凪生の歳のころぜんそくで入院していたから、個人的な記憶と共振したのである。花びらを撒いてくれる少女はいなかったけれども…。

「そして確かに/このふたりを選んで/生まれてこようと/決めたのだ」

この作品のすべてのコマを受け止めることばがこれだということは、わかる。

しかし、しかし、かすかな違和感のようなものを個人的には振り払うことができない。なぜかといえば、自分には結局これまでこういう肯定がおとずれなかったからというほかない……。思いがけず最後に苦しくなった。これはこのマンガの責任ではないが。

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奈良行き3

Toukae1Toukae2奈良の燈花会も今日で終わった。奈良公園のほうはすごい人出だが、奈良町方面の道は人出も少なく、いつもの静けさを保っている。

夜遅いJR奈良線は、途中、車両の外が漆黒の闇になる区間がある。濃い液体のような夏の夜。ドアが開くとコガネムシが飛びこんで来る。

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皿を買う

Sara今年も五条坂の陶器市をぶらぶらと歩いていた。特別に陶器に趣味があるとか毎年たくさん買いこむとかそういうことはない。ただあの雰囲気が好きなのだ。

歩いていたら、おっ? と足をとめてしまったテントがあった。ほかの店とはちがう、何かぱっとひきつけるものを発散している。なんだろう、といろいろ手にとってみていると、どうしても何かほしくなって、お皿とお茶碗を購入してしまった。

やさしい、繊細な色合いと絵柄で、しかものびやかさとリズムがある。とりあえず「かわいい」のだが、もちろんそれだけではなく、意表をついてくるものもある。ぜんぜん説明になっていないが、とにかく抗しがたい魅力がある。

女性の作家の方で、「陶芸工房SPROUT」という名称でHPをもっておられる。過去の作品も魅力的だ。またいつか手にとってみたい。

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