ロラン・バルトのデッサン

Rb_2 なんだか最近、疲れたりするとあるイメージが思い浮ぶ。それがなぜかもう4年も前にみた「ロラン・バルトのデッサン展」の作品のイメージなのである。当時は特に思い入れもなく、展覧会場であった京大博物館を通りかかり時間があったので見てみたという感じだったのだが、今でも思い出すというのはけっこう強力だったのかもしれない。

色のついた毛糸くずがからまったような絵が大半だった。「色の音楽・手の幸福」という副題がついていた。簡素なカタログを買っておいてよかった。画集などのかたちではあまりみられないかもしれないので、大事にしよう。

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中村光『聖☆おにいさん』(講談社、2008年)

最近教えられてあわてて読んだマンガ。

以下は、たまにしかマンガを読まない山猫のいうことです……

この中村光というマンガ家はとびぬけたことをしているのではないか。『荒川アンダーザブリッジ』でも「タダモノではないな」とは思っていた。天才、と呼びたくなるが、「天才」ということばがもっている近代的なロマン性とは無縁である。絵もギャグもむしろ「ベタ」なのに、なにかが決定的に新しい。

マンガでしかあらわせない世界とだけ言っても、とうてい足りない。なんだろう。今回、「マンガ喫茶で手塚治虫の『ブッダ』を読んで感動にむせびながら「手塚治虫スゲェ……」とつぶやくブッダ」に笑ったのだが、あとでそれがちょっとヒントになった。

現実世界があって、マンガ世界がある。どんなマンガもこのマンガ世界に属するのだが、中村光のマンガは、そこには属さない。その「マンガ世界」の住人が読むマンガ世界、がもうひとつあって、中村光のマンガは、そこに属しているのだ。そんなふうに考えた。要するに「メタマンガ」である。といっても楽屋オチではないし、インテリが作ったわざとらしいものでもない。作家自身はそんなことを狙っているのかどうかわからないけれど、たとえば『荒川』にはギャグと同時に「偶然的な世界の不思議なこわれやすさ」みたいなものが自然に存在していて、それは現在的な何かにたしかに触れていると感じる。

『セイント』の中で、空腹なイエスとブッダが皿をもって庭に降りると、猫が皿に飛びこんできて、もう1匹の猫がマッチをくわえてさしだす。猫の意図に気づいたイエスとブッダは蒼白になって、「しないよ、そんなバーベキュー」という。これはいうまでもなく手塚の『ブッダ』の冒頭とラストを飾る「月の兎」のパロディーである。2000年前にインドで発生した自己犠牲の説話を、21世紀の日本でイエスとブッダがやんわりと解体する。考えてみればすごいコマだと思う。さらに〈「皆の気づかいが重い」と二人はのちにマリアにこぼしたという〉というオチがつく。

マリアはイエスの母親だから、ブッダまで一緒になってこぼしてはまずいだろうと一瞬思う。だが、若かりしころ山猫が聴講していた仏教概論の講義で、教授が少し脱線してこんなことを言ったのをおぼえている:「ブッダの母親のマーヤーというのは、幻という意味だ。「マリア」によく似ている。これが似ているのは偶然ではないかもしれない。ぶつぶつ」。講義していたのは世界的な碩学だった平川彰である。平川先生がそういったのだから、ブッダがマリアにこぼしても、別に何の問題もないのだ。

『聖☆おにいさん』とともに、日本の仏教受容1500年の歴史はめでたく終了したのである。

追記:なんてしかつめらしいことを書いたけれど、中村光の公式HP「Cappadocia」を見て、もうすっかりふつうの「ファン」になりました。日記もイラストも、キュンとするばかり。やばい……。やっぱり中村光は天才かも……。もしまた「ブックス談」にサイン会にきてくれたら、ぜひコスプレして行ってみたい。

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川崎長太郎『抹香町・路傍』(講談社文芸文庫、1997年)

小説を読む動機のひとつに、「自分と似ている人間が出てこないだろうか」という気持ちがある。すくなくともこの山猫にはそういう動機があるのだが、そう簡単にはみつからない。かといって「センセイの乾パン」や「博士の愛したねじ式」ではとうてい満足できないのである。

この川崎長太郎の文庫本は10年前に買って読みかけたがぜんぜんおもしろくなく、すぐに中断した。ところが最近ふと読み返してみたら、今度はひきこまれて最後までひといきに読んでしまった。これって、もしかして自分と似てないか?と思って親近感がわいたのである。

五十歳すぎた独身者で、ひとりで物置小屋に住み、ひとみしりでひとづきあいを避け、健康のことでびくびくして運動と称して外をひたすらほっつき歩くことを日課とし、たまに寂寞と空虚に耐えかねて安手の風俗街へおもむき、そこでしつこくして女に嫌われ……これってほとんど――「ほとんど」ということにしておこう――自分と同じやん!

いや、そんなことを言ったら長太郎の小説の主人公は怒るかもしれない。彼は行きつけの食堂で酒を飲み、よっぱらって美少女の店員を呼びつけ、ひんしゅくを買うくらいの爆発的なことはするし、また寝たきりになった母親のおむつを換え、熱いタオルでその体を拭いてやるのだから。そんなこと、わたしにはできはしない。

「父の死」という作品で、まだ三〇代の語り手の「私」が、自分の小説の載った新年号の雑誌を、「これが多分最後になるだろうと」「捧げるようにして」魚屋を営む父親に見せる。すると父親は:

小説の題や私の名は碌に見ず「これでいくら貰える」原稿料を尋ね、「小説」などよりその方がよっぽど大事な問題だと言う顔をし、私を唖然とさせたのだった。

小説を書いたことはないけれど、これと似たような経験は、何度もしたおぼえがある。わたしは「唖然」とさえできなかった。「あれれ、なんか思っていたのとちがうな……でもたぶん何か自分がまちがってるんだろう」と途方にくれただけである。

うーむ、別に私小説の主人公のような人生を送るつもりはみじんもなかったのだが。

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杉本秀太郎『火用心』(編集工房ノア、2008年)

しばらくぶりに杉本秀太郎の文章を楽しもうかと思って購入する。

冒頭の、「富士の裾野」という、富士正晴をめぐる文章を読んでいたら、富士正晴の死が自死であり、またその死を「ひとのまねのできない富士君だけの芸術」と評した――本文にそうある――松田道雄(1998年没)もまた、表向きの死因は急性心臓疾患であっても、真の死因は覚悟の自殺であることが示唆されてあった。

そうだったのか、それは知らなかった……と思って、櫃の奥にあった松田道雄『われらいかに死すべきか』(平凡社ライブラリ、2001年、原本は1971年)をひっぱりだしてきて、あらためて読み直した。以下の引用は松田道雄の本から。

絶望的な状態にいる人が、楽な死をえらぶということは、市民の自由のひとつではないか。自殺の自由というのは市民の権利のひとつだ。この権利を使うことは、悲しいことではあるが、本人の人間としての威厳をたもつために、本人に許されている。……(中略)……安楽死は市民の基本的人権としてだけゆるされるものであると思う。かつて私が安楽死に反対したのは、それが市民の側からでなく、医者の側からもちだされたからである。

われわれの祖先は死の美学をもっていた。自分らしく死ぬことが、美しい死であった。自分の意志に反する死を非業の死として、さけることに心がけた。……(中略)……人間はそれぞれ自分だけしか生きられない生き方をしたのだから、その人間にふさわしい死を、死んでいく人にえらばせるべきである。他人が押しつける死は、どんなに最新の医学であっても、非業の死である。

松田道雄がこれを書いた時代と今とでは状況がちがっているところがあると思うが、いろいろ考えさせられる。しかし、それはそれとして、松田道雄と富士正晴の死が自殺であったことは周知の事実だったのかと思って、インターネットでしらべてみると、少なくともネットではそんな情報はヒットしない。だいたい「急性心不全」で没、あるいは「自宅で死去」みたいな表現になっている。「自殺」は公式の情報として流れていないのであろう。わたしはそこである違和感というか、変だな、という感覚が胸をよぎった。

なぜ、自殺なのに、それを伏せて、別の死因、あるいはあいまいな表現にしているのか。「安楽死」「尊厳死」のための自殺と公表されると、暴力や圧迫を受けるひとが多くいることを見越しての配慮だろうか。それとも残された家族が世間から偏見を受けないための配慮だろうか。それともこれは死因が自殺である場合の世間の「慣習」にしたがっただけなのか。……

だが作家と思想家である。平凡な市民、とは言いにくいところがある。特に松田道雄は「安楽死」について語ったひとである。自身の生き方と死に方が問われても不思議はない。あいまいな表現でぼかされているのはどうなんだろうか、と思うのである。

硫化水素を発生させて死ぬひとがあいついでいる。「有害情報」指定ですむ問題ではないと思う。

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ミニタコとメバル

Taco_3Mebaru3_6あたたかい、暑いくらいのいい天気。

夕方から小浜方面へ向かう。日没は18:44、満潮は21:15、長潮。

19時N漁港。風もないし水温も少しは高くなったはず…だがアタリなし。水面に魚が出る(これをカタカナ用語で「ライズ」というらしい)音も聞こえない。長潮のせいか、海がまったりしていて、動いていないようにみえる。

ふと足許をみると、長い足の変な生きものが泳いでいる。イカか?と思って目の前にワームをぶらぶらさせたらくっついてきた。小さな小さなタコだった。記念撮影。

場所をかえて20:30、ほんの短時間、投げるたびにアタリがある。あげたのは5尾くらい。大きくても13~4センチのメバル。今日はピンク色は反応なく、はじめてアタリがあったのはツネキチ・ワームの、透明に黒いつぶつぶの入った色だった。

山猫は臆病な性質だから、いくら灯りがあっても、ふつうならひとけのない夜の防波堤などひとりでは足を踏み入れられない。むこうの山と海の境目は墨汁色の中に溶けて、一歩足をふみはずせば永遠に吸いこまれそうだ。あるいは、背後の海面から何か出てきたら……とか。ところが魚のアタリがあると怖気がどこかへ消えてしまう。狩猟本能が恐怖心を追い払うのだろうか。

若狭の魚を食べたいのなら、小浜が誇るスーパーマーケット「ママーストアー」で買ったほうが早い。新鮮で種類が多くて、しかも安い。酒の種類も多く、「フレスコ」とはくらべものにならない。「ママーストアー」、京都市内に進出してくれないかなあと思う。

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黒目がちのメバル

Mebaru2_4土曜日の夕方から小浜方面をめざす。日没が18:29、小潮で満潮が18:19。

気温が思ったより低い。N漁港は水が濁り、ゴミが浮いている。20:00頃、前回にアタリのあった常夜灯の下で耳をすますと、たまに「ピシャ」という音が聞こえる。何度か「ココン」と足許でアタリがあるが、手許まであげたのは写真の1尾のみ。

アタリはシャープでおもしろいにせよ、いかんせん小さい。タナゴ釣りと一緒で風流を味わうものと思えばそれまでだが、もう少しワイルドさが欲しい。

しかし「メバル」というくらいで、小さくてもぱっちりと黒目がちな眼で、光があたると紺青に反射してなかなかきれいである。

ふと思ったが、なぜわれわれは黒目がちな眼を「きれい」とか「かわいい」とか感じるのだろう。美少女キャラはたいてい黒目が大きい。これには何か生物学的な理由があるんだろうか。

……と思ったがたぶん生物学な理由はないだろうな。よく言われるけれど浮世絵までの日本の美少女キャラの眼は線引きだし。たぶん純粋に文化的な問題なんだろう。

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メバルを釣る

Mebaruやっと暖かくなってきたので、釣竿をかついで小浜方面へ出かけてみた。

まあしかしいつものごとく釣れない。風がけっこう強く、雪解け水が流れこんでいるせいか、濁りが入っている。

日が暮れて風が収まった。N漁港の常夜灯の下、かすかに魚が騒いでいる音が聞こえる。小潮で、満潮は9時近く。

8時ごろ、足許で一尾だけヒット。10センチもないくらいの小メバルだが、はじめてワームで釣れたので満足だ。使用ワームはパワーシラスのグロー(夜光色)。

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ヘッセ(松永美穂訳)/車輪の下で(光文社古典新訳文庫, 2007年)

世界文学の古典の新訳がはやりだという。しょせん山猫、「世界の名作」に親しむような環境に育たなかったのだが、この『車輪の下で』は中学生くらいのときに角川文庫で読んだことがあった。どれどれ、というわけで、新訳を買って読み直してみた。

そんなに記憶の中の印象と大きなちがいはなかったように思う。しかし読み直して「へーこんな箇所があったっけかなあ」という発見もあった。

神学校を退学になったハンス・ギーベーラントが故郷に帰って、なすすべなく家の周囲をぶらぶらするところで、二つの道が紹介される。そもそもギーベーラント家はその二本の道の角地に建っているのである。

一本は「ゲルバー小路」と呼ばれる、富裕層が住む、こぎれいな家の立ち並ぶ通り。もう一本は、「ツム・ファルケン(鷹亭へ)」と呼ばれる、ちょっとあやしい人たちが住む、貧民街へ通じる通り。「ツム・ファルケン」には病気や犯罪が多発し、首をくくる落ちぶれた職人やアルコール依存症の元郵便配達人が住んでいたりする。ハンスの子ども時代の思い出はこの「ファルケン」の方にたくさんあるのだが、道なかばで挫折したハンスがこの通りをうろついても、もはや隔たりを感じるばかりである。

子ども時代にあらわれる、大きな二つの世界を代表するふたつの道。これは普遍的な現象かなあと思う。『失われた時を求めて』の「スワン家のほうへ」と「ゲルマントのほうへ」も同じだ(なんて、「失われた……」もついに完読していないけれど)。子どものとき、あっちの道を行くとこういう世界が広がっていて、こっちの道を行くとこういう世界が広がっていて……というのは誰しも思い当たるところがあるのではないか。

最後、ハンスは自殺とも事故死ともわからない謎めかしい死に方をするが、ハンスの神経症も死も、この小説全体からみると、「ゲルバー小路」の世界にも「ツム・ファルケン」の世界にも居場所をみつけられなかったストレスに原因があるように読める。一種の「故郷喪失」である。

故郷を喪失したら、旅立つのもひとつの手だ。この小説では、その役割がハイルナーに託されているのだろう。

もうひとつ、細かいところだが、「ファルケン」とともにハンスの子ども時代の思い出の場所だった「皮なめし工場」に行くと、昔とおなじく「おはなしおばさん」のリーゼがじゃがいもをむきながら子どもたちに物語を聞かせている。「リーゼは聖クリストフォロの話をしていた。夜、子どもの声が川の向こうから彼を呼んだという話だ」。

これはたしか芥川龍之介が「くりすとほろ上人伝」のネタにした聖人伝である。思わぬところで出会った。本当にヨーロッパではこんなふうに庶民に語られていたのか……と思うと興味深い。

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ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション(東芝EMI, 2003年)

Moritadoji_2なんとなく、しかしどうしても森田童子が聴きたくなり、ツタヤに行ってCDを借りてきた。

かつてアナログレコードは一枚だけ、「マザースカイ」というのをもっていた。好きな歌は「逆光線」という短い歌だった。リストカットの歌だ。このベスト盤には収められていない。「高校教師」というTVドラマでリバイバルしたらしいが、そのドラマはかけらもみたことがない。80年代の終わりごろから長いあいだテレビのない生活をしていたので、しかたないのだ。

70年代的なものに思い入れやノスタルジーがあるわけではないし、特別に森田童子のファンでもなかったのだが、LPを一枚もっていたのだから、関心はあったのだろう。

あったのだろう、どころか実はコンサートに一回だけ行ったことがある。捨てられないものをしまった櫃の奥に、そのときのチケットの半券をみつけたので、記念にスキャンして載せておくことにする。1983年12月、吉祥寺前進座でのライヴ。ちょっと調べると、このときで活動を停止したらしい。思えば貴重なライヴをみたのかもしれない。丸尾末広のイラストをあしらった、実に美しいチケットだ。話はずれるが、このころまでのコンサートチケットは、心のこもった、味わいのあるものがよくあったと思う。その後、急速に電算処理の味気ない印字だけのチケットが主流になっていった。

ほぼ四半世紀ぶりに聴いて思ったのは、死と挫折と孤独をうたい続けた森田童子の歌は、実は「健康」なのではないだろうか、ということだ。これはもちろん揶揄しているのではなく、評価のことばである。何が「健康」なのかと問われると、うまく答える自信がなくて、口ごもるけれど。

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孫娘ベース

というわけでジェフ・ベックに30年ぶりくらいに感心したので、とまらなくなってYou Tubeで動画を探して見てみた。そしたら「クロスロード・ギター・フェスティバル2007」というステージの動画があって、ジェフ・ベックのとなりで、えらい若い娘がベースを弾いている。ちっちゃくて、いきいきしていて、かわいい。これはなんというベーシスト? といろいろ見ていると、Tal Wilkenfeldという人らしい。

まるで孫娘みたいに見える。まだ二十歳ちょっと出たくらいだそうだ。ジェフ・ベックは還暦を過ぎてるから、実際、おじいちゃんと孫娘と言ってもおかしくない。

萌えた! もしこの組み合わせで来日するなら、チケット買ってもいい。スタンリー・クラークと来日したとき見に行って以来になるな。ウドー音楽事務所の前に並ぶか。あ、いまは違うのか…はは。

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